昨日29日付けで大学HPにて、入学式が5月9日、授業開始が5月12日と発表されました。しかし、「今後の状況変化により」変更の余地がある旨も同時に示されていますので引き続き、HPはまめにチェックするようにしていてください。
さて、電車が動かない、ガソリン入手困難という状況の中で、行政の先生たちはいったいどうやって大学に来てるんだろう?そんな風に不思議に感じている人たちもいるかもしれません。
バスは医大経由の二本松行きなどが1日に数本出ています。また医大までは結構本数があって、医大からなら30分程度歩けばいいので私などは、このルートで来ることが多いです。あとは早朝からスタンドで並んでガソリンをゲットした先生の車やタクシーに相乗りするなど様々な工夫をしています(ガソリンは昨日の記事にあるとおり、山古志村から届けられました。重ねてありがとうございました)。
もちろん学類の経費からは出ていますが、行き帰りだけで結構な費用がかかるので――それに見合う仕事をしているかしらん?ということもあって――私などは若干心苦しいところは正直言ってないではないです。
先日の夜、帰りに大学から福島駅西口の家まで歩いてみました。別に学類経費を少しでも浮かせたいとか殊勝なことを考えた訳ではなく、医大まで歩いてバスで帰ろうとしたところ、暗い中、道を間違えて分からなくなって不安になり――熊が出たらどうしようとか――、仕方なく全部歩くしかなくなったという訳です。
もちろん、地震のあったあの日も数人の先生と余震の恐怖に怯えつつ帰ったルートをまた歩いてみたい、という気持ちも少しはありました。あの日は、途中で溝にはまった車を引き上げる手伝いをしたり、色々あって、結局家に着いたのは大学を出てから3時間以上経っていましたが、普通に歩くとどれくらいかかるのか調べてみたいということも頭をよぎりました。
いざ、歩き始めてみると、夜になってかなり冷えてきたし、何しろ真っ暗なのでコワい。後ろから来る車も怖かったけれども、ライトは意外と頼りになりました。伏拝の交差点から市内の夜景が見えた時は正直ほっとしました。あの日、土砂に埋もれていた4号バイパスは数日後には一応復旧していましたが、歩道は通行止めになっているようだったので、旧道の方を下っていきました。
(地震によって崩落した4号バイパス伏拝交差点付近)
ところが、南福島の市街地に着いたところで、急に生理現象に見舞われてしまいした。市税の未払いによる滞納処分(差押!)はいつでも受けてやる覚悟のある私ですが(授業でも、「これが行政処分の執行力というものである」といって差押予告書配布したよね)、さすがに軽犯罪法違反を犯す勇気はないので、どうしようと困っていたところに、暗闇で1軒だけ開いているお店があるではないですか!
…それは、震災のあの日、ウインドウから酒瓶までが滅茶苦茶に割れて道路に日本酒のおいしい香りを撒き散らしていた越後屋さんでした。お手洗をお借りして、水田さんと少し世間話をしてから、さすがに1本買わないと、というわけで「泉川」の純米吟醸をゲットしました。そこからは順調に家までたどり着いて、鍋と共にいただいたお酒のおいしかったことといったら・・・
(これぞ会津坂下の銘酒、泉川!)
ところで、大学を出てから家までどれくらいかかったでしょう?医大の周辺でうろうろしていた時間、越後屋さんで油うってた時間も併せて正味1時間40分程度といったところでしょうか。「これなら、徒歩通勤(ただし帰りのみ)できるな、原子力に替わる代替エネルギーは人力だっ!」と妙な自信がついてしまった垣見でした(通勤手当は削らないでください)。
さてさて、次回は、照沼さんの登場です!
0 件のコメント:
コメントを投稿