みなさん、こんにちは。連続投稿すみません。ブログ庶務担当(?)の清水です。
塩谷学類長から、卒業生に対するメッセージをいただいたので、ブログで掲載します。
(卒業証書が郵送される場合には、同一文書が同封されています)。
卒業生はもちろん、在学生に対してもこのメッセージを送りたいと思います。
卒業記念パーティーでのお祝いの言葉に替えて
3月25日は、皆さんが楽しみにしていた学位記授与式(卒業式)と卒業記念パーティーの日でした。しかし、あの日を境にすべてが変わりました。行政政策学類では、いずれ卒業式に替わる集いを設ける予定ですが、一人ずつ静かに旅立っていく皆さんに、再会のときまでの奮闘を期待して、エールを送りたいと思います。
大きな事件や事故があったとき、私たちは日付とともにその出来事を記憶しています。8.15敗戦の日、1.17阪神淡路大震災、9.11世界同時多発テロ。そして、いまそこに、「3.11東日本大震災」が加わることになりました。これから50年、100年、いや人類社会が続く限り、この日とその後の出来事は語り継がれていくでしょう。
「戦後最大」「未曾有」「空前絶後」、どんな言葉を使っても表現しきれないような恐るべき状況がいま私たちの前に展開しています。地震から二週間が経ったいまもなお増え続ける死者・行方不明者の数、家屋の損壊や放射能汚染によって故郷を離れた数十万の人々、いまだに予断を許さない原発等々。皆さんの中にも、家族や親せきが被災したり、避難所生活を余儀なくされたりしている方が少なくないと思います。
しかし、幸いにして、私たちは生き残りました。日が経つにつれて、どんな非日常的な出来事も、日常へと取って代わられ、人々の記憶の片隅へと追いやられていきます。生き残った者として、この時代を生きるものとして、そして、この福島の地に学んだ者として、私たちには「使命」と「試練」とが与えられたのではないでしょうか。
「震災」は、自然現象である「地震」とは異なる社会現象です。震災は、この国や社会の最も弱いところを容赦なくあぶり出しています。原発に依存してきた福島の地域振興策と日本のエネルギー政策、救えたはずの多くの命を救うことができない医療体制や支援物資の配送システム、水道水や農産物の放射能汚染によって惹き起こされる消費者のパニックなど、私たちが普段は見過ごしてきた課題が次々と明らかになっています。
そして、それとともに晒されているのは私たち自身の弱さや甘えです。問われているのは私たちの「これまでの、いまの、これからの生き方」です。この困難な状況を前にして、言葉を失い、思わず立ちすくんでしまうかもしれません。いますぐには何をすべきかが見つからないかもしれません。でも、きっと何かができるはずです。行政政策学類で学んだのですから。私たちは一人ではないのですから。
「その後の出来事」を創るのは私たちです。この学類で学んだことに誇りをもって生きてください。そして、学び続けてください。
“Live as if you were to die tomorrow. Learn as if you were to live forever. “
「明日死ぬかのように生きよ。永遠に生きるかのように学べ。」(マハトマ・ガンジー)
2011年3月25日
行政政策学類教員を代表して 塩谷弘康
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