2011年3月30日水曜日

さよなら、そして、こんにちは!(引っ越しのお知らせ)

 夜の震災対策室、第5メンバーの大黒です。
 私たちのブログには、毎日1500件ほどのアクセスがありますが、多くの方から、「このブログ、携帯では見にくい!コメントもできない!」、とお叱りを受けました。
 皆さんの声を受けて、第1メンバーの清水さんがその対策を考えました。
 その結果、行政政策学類震災対策室有志が運営するブログ、「ガンバロウ福大!行政の『結』」は、引っ越すことになりました!
 これまでの記事やみなさんからのコメントは、すべて移行済みです。
 これからは、携帯からも見やすくなりますし、コメントもつけやすくなります。
 みなさんのアクセス、コメントをお待ちしています。

新アドレス(PC/携帯共用):http://311gyosei.blog39.fc2.com/
 
 

新学期の日程が決まりましたが・・・

どうもお待たせしました、垣見です。

昨日29日付けで大学HPにて、入学式が5月9日、授業開始が5月12日と発表されました。しかし、「今後の状況変化により」変更の余地がある旨も同時に示されていますので引き続き、HPはまめにチェックするようにしていてください。

さて、電車が動かない、ガソリン入手困難という状況の中で、行政の先生たちはいったいどうやって大学に来てるんだろう?そんな風に不思議に感じている人たちもいるかもしれません。

バスは医大経由の二本松行きなどが1日に数本出ています。また医大までは結構本数があって、医大からなら30分程度歩けばいいので私などは、このルートで来ることが多いです。あとは早朝からスタンドで並んでガソリンをゲットした先生の車やタクシーに相乗りするなど様々な工夫をしています(ガソリンは昨日の記事にあるとおり、山古志村から届けられました。重ねてありがとうございました)。

もちろん学類の経費からは出ていますが、行き帰りだけで結構な費用がかかるので――それに見合う仕事をしているかしらん?ということもあって――私などは若干心苦しいところは正直言ってないではないです。



先日の夜、帰りに大学から福島駅西口の家まで歩いてみました。別に学類経費を少しでも浮かせたいとか殊勝なことを考えた訳ではなく、医大まで歩いてバスで帰ろうとしたところ、暗い中、道を間違えて分からなくなって不安になり――熊が出たらどうしようとか――、仕方なく全部歩くしかなくなったという訳です。

もちろん、地震のあったあの日も数人の先生と余震の恐怖に怯えつつ帰ったルートをまた歩いてみたい、という気持ちも少しはありました。あの日は、途中で溝にはまった車を引き上げる手伝いをしたり、色々あって、結局家に着いたのは大学を出てから3時間以上経っていましたが、普通に歩くとどれくらいかかるのか調べてみたいということも頭をよぎりました。

いざ、歩き始めてみると、夜になってかなり冷えてきたし、何しろ真っ暗なのでコワい。後ろから来る車も怖かったけれども、ライトは意外と頼りになりました。伏拝の交差点から市内の夜景が見えた時は正直ほっとしました。あの日、土砂に埋もれていた4号バイパスは数日後には一応復旧していましたが、歩道は通行止めになっているようだったので、旧道の方を下っていきました。

(地震によって崩落した4号バイパス伏拝交差点付近)


ところが、南福島の市街地に着いたところで、急に生理現象に見舞われてしまいした。市税の未払いによる滞納処分(差押!)はいつでも受けてやる覚悟のある私ですが(授業でも、「これが行政処分の執行力というものである」といって差押予告書配布したよね)、さすがに軽犯罪法違反を犯す勇気はないので、どうしようと困っていたところに、暗闇で1軒だけ開いているお店があるではないですか!

…それは、震災のあの日、ウインドウから酒瓶までが滅茶苦茶に割れて道路に日本酒のおいしい香りを撒き散らしていた越後屋さんでした。お手洗をお借りして、水田さんと少し世間話をしてから、さすがに1本買わないと、というわけで「泉川」の純米吟醸をゲットしました。そこからは順調に家までたどり着いて、鍋と共にいただいたお酒のおいしかったことといったら・・・


(これぞ会津坂下の銘酒、泉川!)

ところで、大学を出てから家までどれくらいかかったでしょう?医大の周辺でうろうろしていた時間、越後屋さんで油うってた時間も併せて正味1時間40分程度といったところでしょうか。「これなら、徒歩通勤(ただし帰りのみ)できるな、原子力に替わる代替エネルギーは人力だっ!」と妙な自信がついてしまった垣見でした(通勤手当は削らないでください)。


さてさて、次回は、照沼さんの登場です!

地域にとけ込む行政政策学類―ガソリン調達の現場

 震災対策室のメンバー、大黒です。こんにちは。

 これまで行政政策学類は、地域とともにある学類、地域の課題に具体的に取り組む学類を標榜してきました。甚大な被害地域となった福島県内にある大学、学類として、今回の震災と原発事故がもたらした甚大な被害と、いまだ見通せない今後の生活への不安にどう取り組んでいくのか、私たちは、目が眩むほどの大きな課題を抱えることになりました。
 今後、少しずつではありますが、着実に取り組んでいかなければ…身が引き締まる思いでいます。
 しかし、これまでの僕たちの姿勢、地域とともにある学類、地域の課題に具体的に取り組む学類という姿勢はこれからも変わりません!!
   ↓  ↓  ↓
 先日、「地域とともにある学類」を象徴的に表している写真が取れました!
 ガソリン調達の現場写真です。



 震災対策室が発足して以来のメンバーである千葉悦子先生が写っていますね。

「えっ、どこに?」

 って思った人は、行政政策学類、そして、千葉ちゃんのすごいところをまだ実感していないようですね(怒)。

 千葉先生はこれまで、社会教育、そして学習活動を通じた地域のエンパワーメントの研究者として、常に地域の現場で活動されてきた方ですが、震災の現場においても、いつもと変わらず、地域に溶け込んでいるのです!この時も、ガソリン(というか、ガソリンを買うことが許されるための整理券)にたどりつくための長い長い道のり(3時間)の途中で、たまたま隣り合わせた人たちとの井戸端会議の最中でした。

 この会議では、地震の凄さや被害の甚大さ、そして放射能に対する不安はもちろんのこと、ガソリン調達の失敗談やその裏技について、そして、東京中心になりがちな報道内容や「直ちに健康被害には結びつかない」という表現に対する疑念、さらには、家で飼っている「メダカ」の水交換をどうすべきかという悩みまで、あらゆることが話し合われました!

 今回の事態が、まさに生活の細部、すみずみにまで影響を及ぼしているという現実が、良くわかります。

 私たち震災対策室のメンバー8人にとっては、今回が、震災後初めてのガソリン(というか、ガソリンを買わせていただくための整理券)調達のための具体的行動でしたが、すでにガソリン調達の苦難を経験済みで慣れている人たちは、椅子や毛布、ラジオ持参で並んでいましたし、たまたま出会った私たちのような周囲の人たちに、椅子を譲ったり、バナナを差し入れたりしていました。生活の苦労をともにする人たち同士(同志?)の気遣いです。

 その列の中には、南相馬から福島市に避難してきているご夫婦もおり、その方は率先して、持参したお茶などを周りの方々にふるまっていました。「本当は逆じゃなきゃいけないのにねえ」、と言いながら、会話がさらに深まっていきました。

 「地域とともにある大学」、の出発点がここにあることを実感した3時間でした。
 つまり…「地域に溶け込む行政政策学類」とは、まさにこの写真のことです!

 地域のおじさんおばさんの中で、どれが千葉ちゃんか良くわからない、見分けることができないほど馴染んでいる=溶け込んでいるというのも、仕方のないことでしたね。

 みなさん、怒ったりしてすいませんでした。

 あ、そうだ(追伸)、垣見さんはもうすぐ登場するはずです!

2011年3月29日火曜日

卒業式実行「応援」委員会!?

なかなか垣見さんの投稿にたどり着きませんね、そんな私はしみずです(笑)。


大黒さんの記事を見ても明らかなように、いま、震災対策室は、いろんな人に支えられて業務を行っています。みなさん、ありがとう、ありがとう、もうひとつついでに、ありがとう。


さて、今度は、OB/OGからもうれしい提案がありました。関東にいるOB/OGが、自分にも何かできることはないかと自分で考えて、卒業生有志で『福大卒業式応援委員会』を立ち上げたそうです。


詳しくはこちらのブログへ
http://blogs.yahoo.co.jp/fukudai_sotupuro2011


以前の記事で、学類(および、同窓会、学友会)としても、卒業式に代わる行事を実施する方向で検討していると書きましたが、卒業生の中から自主的にこれを支援してくれるような動きが出ているということは、素直に嬉しいですね。「学生の自主的・主体的な学び」を重視する本学類の教育の大きな成果と言えるかもしれません(笑)。


福大卒業式応援委員会のブログにも書いてありますが、まだまだ始まったばかりの活動で、「つっこみ所満載」のようです。大学、各学類、学友会、同窓会などとの調整も必要でしょうし、その中で「応援委員会」がどのような役割を果たすことができるのか、また果たすべきなのかについても、検討の余地があるでしょう。「応援委員会」は学類横断の取り組みということなので、学類間の連携面で最も力を発揮できるかもしれませんね。


ぜひ皆さんもつっこんで(笑)、よりよい活動になるように応援してあげてください。


ではでは。

推進力を得た震災対策室

 本日、行政政策学類にガソリン280リットルが補給されました。
 行政政策学類震災対策室もこのブログも、これまで以上に推進力を増します!

 うれしいのは、この推進力が、新潟県山古志村(現在は中越市)のみなさんからもたらされたということです。

 山古志村と福島大学、行政政策学類は深いつながりがあります。
 山古志は、2004年10月23日に発生した新潟県中越地震で甚大な被害を受けた地域ですが、直後に現地に入った福島大学、行政政策学類の学生・教員ボランティアが、長期にわたって山古志での避難生活と復興活動にかかわりました。その時に生まれた山古志のみなさんと福島大学の学生・教職員との間の強いつながり(=「結」)は、その後も残り続けてきました。

 この「結」が、今度は山古志から福島への支援という形で生かされています。


(読売新聞2011年3月22日23面)


 山古志のみなさんの支援は、地震発生直後の混乱の中ですでに始められ、貴重な物資を何度も福島まで運んでくれています。
 今回は、福島大学の第一体育館が受け入れ先になっている避難所への野菜などの差し入れ、そして、支援活動や学類の震災業務に欠かせないガソリンを運搬してくれました。ガソリン不足に悩むわれわれには、大助かりです!




 ガソリン到着も朗報でしたが、さらにうれしかったのは、中越地震当時中学生で、山古志の避難所で福島大学の学生たちと過ごした坂牧くんが、今回の支援の中心メンバーだということです。坂牧くんは、中学生当時に避難所で生活を共にした「福大のおにいさん」、清水くんとともに、今回の支援物資を準備し、遠路はるばる福島まで運んでくれました。

 さらに、坂牧くんは、4月からの福島大学の1年生として入学することが決まっています。当時の「福大のおにいさん」、清水くんもまだ在学中ですから(清水くんって…ええっ、何年生なの?)、4月から2人は晴れて同じ大学で学ぶことができるわけですね!坂巻くん、清水くん、おめでとうございます!

 坂牧くん、清水くんの2人は、もう一人の仲間とともに行政政策学類震災対策室を訪ねてくれました。鈴木典夫さんとともに写っています。




 山古志と福島大学とのつながりは、今後もますます強くなっていくことになりそうです。
 行政政策学類の将来がますます楽しみになってきました!!

 震災対策室から、大黒が報告しました。

2011年3月28日月曜日

行政政策学類生、松本で大活躍!

 行政政策学類を先日卒業した横山晋哉さんが、松本で頑張っています。
 横山さんは、大学正門入り口脇の「遊休農地」の耕地化を実現した「Uプロジェクト」の代表で、その経験を生かし、出身の松本市で、「福島の農家のためにできること」、を考え実践しています。
 学類震災対策室のメンバーも、信濃毎日新聞の記事を見て初めてその活動を知りましたが、「さすが、横山くん」、と喜んでいます。横山さんに続いて、松本からやってくる新入生に関するうれしい記載もあります。
 後日、横山さん本人へのインタビューをアップしますが、さっそく信濃毎日新聞に掲載された記事2本を転載させてもらいます!

・信濃毎日新聞(3月27日・日) 
http://www.shinmai.co.jp/news/20110327/KT110326SJI090008000022.htm

「福島の農家のために」松本出身で福島大生が福島産野菜販売

  放射性物質の検出が相次いだ福島県産などの野菜を対象に、政府が出荷停止や摂取制限を指示する措置を取ったことを受け、松本市内田出身の福島大4年横山晋哉さん(22)は27日、出荷停止や摂取制限の対象となっていない福島県産キュウリなどを松本市の縄手通りで販売する。福島第1原発事故の影響で、同県の農産物全体が汚染されているような風評被害が出ていることを心配。大学があり、卒業論文のフィールドにした福島のため、安全性をアピールしようと考えた。

 横山さんは福島市に下宿。一部が屋内退避区域になっている福島県飯館村には、炭焼きをテーマにした卒論の研究で何度も通った。農業と畜産が主な産業の村では今、放射性物質の影響を恐れ、村民が集団で県外に移転。「土壌や水の放射能汚染など、問題は長期化するだろう。高齢化率が高い村の農業を立て直すのは簡単でない」と心配する。

 このため、福島の農家のためにできることを考えた。原発事故の先行きが見えず、福島でのボランティアが難しいことから、故郷での野菜販売を思い付いた。

 横山さんは大学が用意したバスなどを使い、18日に松本市の実家に戻った。26日は同市内の青果卸会社から、福島県産のキュウリやトマトなど約35キロ、茨城県産のレタス200玉余を計約3万円で購入。風評被害の影響で通常より安い値段で仕入れることができた。青果卸会社の担当者は「安全と認められた物しか流通していない」と話す一方、福島、茨城県産などの野菜は小売店に敬遠されていると説明したという。

 野菜の販売は午前10時から午後6時ころまで。キュウリは1本30円、トマトは2個100円の予定。経費を除いた売上金の全てを飯館村役場に義援金として寄付する。4月に栃木県内の農業生産法人に就職する横山さんは「被災地の農家のためにぜひ協力を」と呼び掛けている。問い合わせは横山さん(電話090・9669・7019)へ。

・信濃毎日新聞(3月28日・月)
http://www.shinmai.co.jp/news/20110328/KT110327SJI090007000022.htm

松本で福島・茨城の野菜安全PR 福島大生が販売・売り切れ

 松本市出身の福島大4年横山晋哉さん(22)が27日、出荷停止や摂取制限の対象になっていない福島県や茨城県産の野菜類を同市街地の縄手通りで売った。一部で基準を超える放射性物質が検出された両県産の農産物の風評被害を消そうと企画。用意した分は夕方までに売り切れた。利益を義援金にする。

 福島県産キュウリ5ケース、茨城県産レタス約250玉などは前日に松本市公設卸売市場で購入。この日は横山さんの幼なじみ2人も協力して「安全でおいしい野菜です」とPRした。近くに住む女性(73)はレタスを試食し「おいしい。ハウス栽培なら危険も低いと思う」。

 安曇野市の農業丸山保義さん(57)は「同じ農家として、育てた野菜が廃棄されるほどつらいことはない」とキュウリなどを段ボール1箱分購入。長男が今春福島大に入学予定といい「野菜を買うと義援金になる。お互い気持ちのいい支援」と喜んだ。

 横山さんは「予想以上に売れた。遠くにいてもできることはたくさんある」と話していた。義援金は、卒業論文のための調査で訪れ、今回の震災で大きな被害が出た福島県飯館村に寄せる。

エコバッグ収穫祭!

こんばんは、夜の震災対策室から、新村、大黒、清水です。

垣見さんの投稿を期待されていた方、スミマセン(笑)。


今日は、震災対策でヘトヘトなところ、嬉しいニュースが舞い込んできました。

なんと、大切に大切に育てたエコバッグの木に、色とりどりの実がなりました!!!





震災前に学友会が募集していた「福大行政のロゴマーク」の入ったエコバッグです(趣旨はhttp://www.ads.fukushima-u.ac.jp/topic/20110106を参照)。震災に負けず、大きな大きな実をつけてくれました!学友会の皆さん、おめでとう!

ちなみに、ログマークをアップすると、こんな感じです。
手と手を取り合い、ハートを持って前に進もうとしている姿は、まさに今の時代にふさわしいAction Together !
すばらしいロゴですね!




夜中の震災対策室メンバーが選んだエコバッグは、こんな感じです。一緒に行かない(=Action Together)?



気分を害された方がいたらスミマセン…。

それでは、息抜きを終えて残務に戻ります!!


高木文科相が来ました

丹波さんに引き続いて、にいむらです。 

みなさん、それぞれの事情があるでしょうが、とりあえずお元気でしょうか? 体調崩さないよう、十分に注意してください。 

さて、昨日(27日)15時頃、高木文科大臣が来学されました。福大は、見かけはそれほど大きな被害を受けてないようにみえます。でも、研究室は、大黒さんのブログに貼り付けられた画像の通りです(しかし、残念ながら研究室は大臣の視察対象にはいっていなかったようです)。 

事務職のお偉いさん(?)は、大臣が到着する前に、あわてて(?)看板の掲示物を貼り直したり、職員に震災用(じつは、オーンキャンパス用)のユニホームを着るよう指示したり、30分以上も前から本部棟玄関前で整列のリハーサルをしたり、細心の注意を払ってお迎えしようという気持ちが表れていました(??)。 





25日には学長の底抜けに楽観的な声明が出されていますし、せっかく来られても、大臣は、研究室の惨状はおろか、福大が置かれている目に見えない圧倒的な驚異(不安)など、たぶん、ほとんど理解されないままお帰りになったんだろうな(ウーム)。


せめてもと、福島の最近のファッションでお出迎えしようと、ぼくらは下の画像のようないでたちで大臣と相まみえました。




次回は垣見さんの登場です!

2011年3月27日日曜日

学生ボランティアのミニ卒業式

福島大学の合宿所や体育館で避難している避難者の方々を支援している学生ボランティアのなかで、4年生が少なからずいます。当初予定では25日は卒業式でした。
4年生にささやかなプレゼントとして、ミニ卒業式をサプライズで行いました。
本学類の塩谷学類長や人間発達の中田学類長も参加していただき、卒業証書を渡していただきました。

避難所にいらっしゃる方も一緒にお祝いをしてくれ、ささやかながらも心温まる「卒業式」になりました。
丹波

Q&A(行政政策学類震災対策室より)

一昨日に引き続き、連続投稿すみません。しみず@ブログ庶務担当です。
大黒さんの記事、素晴らしいですね。ちなみに、清水研究室の写真の「ドロボウ」は、本人です…(笑)。

さてさて、連続投稿したのは、震災対策室から、「学類生から多く聞かれる質問についてのQ&A」を頂いたからです。
以下に貼り付けます。質問はコメント欄へどうぞー。


*****

 学類生の皆さんへ              行政政策学類震災対策室から(0327)



 3月11日の東北関東大震災から半月が経ちましたが、いかがお過ごしですか?

 次第に余震が収まってきましたが、福島第一原発は予断を許さない状況にあり、いつになったら安心して生活を送ることができるのか、4月に大学の授業が再開できるのか、不安な気持ちになっているのではないでしょうか。また、周囲の友人が実家等に帰省したり、友達に会うことができなくなったりして、心細く思っている方もいるでしょう。

 このブログは、全国に散り散りになっている皆さんの結節点としてつくられましたが、学類からも必要な情報を提供し、皆さんの要望に答えていきたいと思います。

福島大学からの情報は、大学震災緊急連絡HPに掲載されていますが、ここでは、学類生から多く聞かれる質問についてお答えしておきましょう。



Q.授業開始の日程は決まっているのでしょうか? 

A.今のところ、4月23日までの休講が決まっているだけで、いつ入学式を行い授業を開始するかは、まだ決まっていません。地震により新幹線や在来線が運休していること、原発の安全性が確認できていなことなどがその理由です。岩手大学や県立医科大学では5月9日からの授業開始を予定しており、福島大学でも5月以降になると思います。決まり次第、皆さんにお知らせします。



Q.合宿ガイダンスは、例年通り行われるのでしょうか? すぐにでもシニター活動を再開したいのですが、大学や大学以外で活動してはだめでしょうか? 

A.来年度は学年歴が大きく変わりますが、ぜひ合宿ガイダンスを実施したいと思います。日程などは今後、シニター事務局と相談していきます。入学式も延期されるので、急いでシニター活動を再開する必要はありません。原発事故が収束しておらず、福島市も屋内退避・避難の指示の対象域になる可能性があるので、大学としては、授業が始まるまではできるだけ実家等に戻ることを勧め、引越しなどやむを得ない場合以外は大学に来ないように指導しています。学生の安全性を確保できないうちは、サークル活動も休止しています。大学や大学外で集まって活動することは自粛してください。



Q.授業が再開されても、電車が動かないと大学に通えません。どうなるでしょうか?

A.JR東日本発表(3月27日)では、東北本線(郡山~本宮)が3月29日、東北本線(仙台~岩切)が3月31日、東北本線(本宮~福島)(岩沼~仙台)と奥羽本線(福島~米沢)が4月上旬の運転再開見通しです。福島~岩沼間は復旧の見通しがまだ示されていません。在来線の復旧が遅れる場合には、通学バスの運行を検討していくことになると思います。



 なんでも質問を受け付けていますので、遠慮なくどうぞ。

*****

教員研究室のドナルド

 大黒です。震災対策室に来ています。
 ここでは、みんながそれぞれの役割をもって忙しく働いていますが、僕は今、放射線対策で今後「退避指示」等が決定された時に、さまざまな事情で実家に戻ることのできない学生さんが迅速に安全な地域に退避するためのマニュアル作りを進めています。
 ニュースを見ながら一喜一憂、卒業証書を受け取りにきた4年生の真摯な言葉に感激、福島大学長のメッセージを読んで憤慨(みんなで声をあげよう!)、ガソリン調達のためにみんなで長い列に並んで地域の人たちと井戸端会議――ここでは、震災業務の他、日々いろんなことをやり、いろんなことが起こります。

 いろいろ思うことはありますが、実感したのは、行政政策学類のこれまでのあらゆる活動が「震災対策」になっていたということです。震災直後の食糧調達に遊休農地つながりの皆さんが協力をしてくれましたし、避難所で必要なカセットコンロ用ガスボンベや紙コップは研究室から次々と出てきます。ゼミの芋煮会で鍛えた腕で大会議室を使って、大人数のための食事が作れます。そしてなにより、日頃培った学生さん同士、そして学生と教員との繋がりが、迅速な安否確認と連絡網の整備に繋がっています。人と人との「結」が、こうした時にはもっとも大切であることを実感しているところです。

 こうした忙しい毎日のなか、忘れていたのが、自分が研究者だってことでした(笑)。
 研究室が地震でひどいことになっていながら、そのままになっています。みなさんも慣れ親しんでいる教員研究室ですが、現在の様子は、こんな感じです↓

 ひどい!
 片づけるのにひと月はかかりそうです。きちんと読んだ本だけを片付けるのなら、数日で終わるかもしれませんが…(笑)。7階8階といった上層階の研究室が特にひどいようです。この写真は、僕の研究室(7階)のものです。
 あれ、よく見ると、写真の左上あたりに、いつも高いところから僕を見下ろしていたはずのドナルドが、おしりを向けてひっくり返っています(笑)。ドナルドもちょっとした被災者になっていたようです。
 さて、この写真どこから撮ったんですか?という疑問もあるでしょう。どうやって研究室の奥まで行けたんですか?
 もちろん、本の上を歩いてです!貴重な本の上を土足で歩くなんてできないと思っていましたが、普通にできました(笑)!
 ↓の写真は、新村さんが自分の研究室をとった写真です。本の上に堂々と立っている自分の足が写り込んでいます。

 
 ↓の画像は、研究室に入り込んだ泥棒が、発見されて窓から逃げ出そうとしているところのようですが、ここは8階、清水研究室です。


 
 研究室もこんな状況ですし、なにより、原発の状況が安定せず、今後大学が通常業務にいつ戻れるのか、あるいはほんとうにそんな時期が来るのか、心配な毎日が続いています。首相をはじめ「復興」を口にする人も多いのですが、私たちは、また被災地域にいるみなさんも、ひとそれぞれ、まだまだ直近の課題に追われている状況ではないでしょうか。

 それでは、僕に救われた小さな被災者ドナルドからの伝言です↓


 「みんな、自分が今やるべきだと思うことを、存分にやろう。ボランティアに行きたい人は行こう!仕事をしたい人は仕事に行こう!勉強したい人は勉強しよう!家族の安全を最優先に守りたいという人はそうしよう!ゆっくり休みたい人は休もう!友達に会いたい人は会いに行こう!」

 最後に、新学期の開始が遅れたので、ブログを読んでくれている学生さんへ課題を出します。
 画像に写っている、「たかの由梨ビューティークリニックの従業員」のようなドナルドの友人(黒い)は誰でしょう?分かった人は、メッセージを書き込んで下さい!

 次回は丹波さん、お願いします。

2011年3月26日土曜日

こんな僕たちだからこそ、良い東北をつくっていける

西崎です。
3月もあと6日で終わるというのに窓から見えるのは雪景色。
なごり雪をみながらいろいろなことを考えています。
わたしの思いは次回にお伝えすることにして、今日は卒業証書を受け取りにこられた卒業生の言葉をお伝えしたいと思います!
このブログは、在校生のみなさんを励ましながら、いろいろな情報を発信しようというつもりで立ち上げました。
でも、みなさんの声を聞きながら、実は教職員もまた励まされているのだろうと、しみじみ思いました。心からありがとう、と言いたいです。


***
「4年間学んだこと、震災を忘れずに教員として子どもたちに経験を伝えていきたいです」


「福島大学を卒業したことを誇りに思って、4月1日から仕事に励みたい。卒業式みたいなことをしていただいて感謝しています」

「出身は遠いところだけど、就職先は県内。これからどんどん東北人になっていければと思います」

「あっという間だったが、楽しかった。ゼミが一番楽しかった」

「こんな形の卒業になるとは思っていなかった。県内の職場で、福島のためにがんばりたい」

「生まれてまもなくバブルがはじけた。
小学校入学で阪神淡路大震災が起き、
中学生のときにはゆとり教育がはじまった。
そして高校生のときは、履修漏れ事件が起きた。
大学生のときにリーマンショックがおき、さらに今回の震災となった。
88年、89年生まれてはなにかを持っている。
こんな僕たちだからこそ、日本を立ち直らせ、良い東北をつくっていけると思います」

「ゼミで勉強も遊びも精一杯やりました」

「ぼくたちの世代はつらいことがいっぱいあった。だから他の人に優しくできる。4月1日から県内の役場で働く。ジャージを持ってこいといわれています」

「あっという間の4年間でした。こんな形で卒業するのは残念ですが、就職先の栃木県で貢献していきたいと思います」

「このような状況のなか、学類長から学位記をもらえてうれしいです。」

「卒業をすることができ、嬉しいです。これから消防士として、がんばりたいです」

***

次回は大黒さんが担当します!(研究室情報、わたしも楽しみです)

追伸:大学のHP(http://www.fukushima-u.ac.jp/)の教務関係、学生課関係、その他随時更新されています。必ずチェックしておいてください。

2011年3月25日金曜日

卒業記念パーティーでのお祝いの言葉に替えて

みなさん、こんにちは。連続投稿すみません。ブログ庶務担当(?)の清水です。
塩谷学類長から、卒業生に対するメッセージをいただいたので、ブログで掲載します。
(卒業証書が郵送される場合には、同一文書が同封されています)。

卒業生はもちろん、在学生に対してもこのメッセージを送りたいと思います。


卒業記念パーティーでのお祝いの言葉に替えて

 3月25日は、皆さんが楽しみにしていた学位記授与式(卒業式)と卒業記念パーティーの日でした。しかし、あの日を境にすべてが変わりました。行政政策学類では、いずれ卒業式に替わる集いを設ける予定ですが、一人ずつ静かに旅立っていく皆さんに、再会のときまでの奮闘を期待して、エールを送りたいと思います。

 大きな事件や事故があったとき、私たちは日付とともにその出来事を記憶しています。8.15敗戦の日、1.17阪神淡路大震災、9.11世界同時多発テロ。そして、いまそこに、「3.11東日本大震災」が加わることになりました。これから50年、100年、いや人類社会が続く限り、この日とその後の出来事は語り継がれていくでしょう。

 「戦後最大」「未曾有」「空前絶後」、どんな言葉を使っても表現しきれないような恐るべき状況がいま私たちの前に展開しています。地震から二週間が経ったいまもなお増え続ける死者・行方不明者の数、家屋の損壊や放射能汚染によって故郷を離れた数十万の人々、いまだに予断を許さない原発等々。皆さんの中にも、家族や親せきが被災したり、避難所生活を余儀なくされたりしている方が少なくないと思います。

 しかし、幸いにして、私たちは生き残りました。日が経つにつれて、どんな非日常的な出来事も、日常へと取って代わられ、人々の記憶の片隅へと追いやられていきます。生き残った者として、この時代を生きるものとして、そして、この福島の地に学んだ者として、私たちには「使命」と「試練」とが与えられたのではないでしょうか。

 「震災」は、自然現象である「地震」とは異なる社会現象です。震災は、この国や社会の最も弱いところを容赦なくあぶり出しています。原発に依存してきた福島の地域振興策と日本のエネルギー政策、救えたはずの多くの命を救うことができない医療体制や支援物資の配送システム、水道水や農産物の放射能汚染によって惹き起こされる消費者のパニックなど、私たちが普段は見過ごしてきた課題が次々と明らかになっています。

 そして、それとともに晒されているのは私たち自身の弱さや甘えです。問われているのは私たちの「これまでの、いまの、これからの生き方」です。この困難な状況を前にして、言葉を失い、思わず立ちすくんでしまうかもしれません。いますぐには何をすべきかが見つからないかもしれません。でも、きっと何かができるはずです。行政政策学類で学んだのですから。私たちは一人ではないのですから。

 「その後の出来事」を創るのは私たちです。この学類で学んだことに誇りをもって生きてください。そして、学び続けてください。

“Live as if you were to die tomorrow. Learn as if you were to live forever. “
「明日死ぬかのように生きよ。永遠に生きるかのように学べ。」(マハトマ・ガンジー)


2011年3月25日

行政政策学類教員を代表して 塩谷弘康

4年生のみなさん、卒業おめでとう!

みなさん、こんにちは。ブログ投稿一回目は、清水が担当します!


みんな元気にやってるかー?コメント欄を開放しているので、質問や感想など、なんでも書き込んでくださいね(ブログの内容と関係なくても大丈夫ですよー)。

さて、今日は本来であれば、卒業式でした。残念ながら式の方は中止になってしまいましたが、何人かの卒業生が学類長室に卒業証書を取りに来てくれました。




全員そろって卒業式ができなかったことは残念ですが、震災が一段落した後、学類(及び、学友会、同窓会)として、何らかの形で卒業生が集う機会をつくることを検討しています!そうじゃなくても俺がやる(笑)!


最後に、お知らせ。

今週から、土湯温泉バスツアーが始まりました。火曜・木曜の14時に経済経営学類棟正面玄関発で、1回200円です。避難所の方々向けとなっていますが、学生も教職員も利用可能です。市内に残っている皆さん、利用を検討してみてはいかがでしょうか?





もう一点。
ソフトバンクから緊急災害用の携帯電話を100台、無償で3ヶ月間貸与していただきました。
100台ですよ、みなさん!本当にありがたいことです。
白戸家のお父さん、ありがとう!!!


ではでは。次の投稿は、西崎さん、お願いします♪